【御朱印】山形県 注連寺
学術的にも調査が入り、指紋にてこの人は鉄門海上人だと断定されたとのこと。
しかも鉄門海上人はミシュランガイドで星2つも獲得しています。(凄い!)
日本最大級の大鰐口があったり、小説月山の舞台にもなっているとこのと(またまた凄い!)
天井の絵も是非見てください!凄いです。
拝観料を払うとつきっきりで説明してくれる方がいるのですが、第一声が「今日はカメムシが多くて〜(笑)」でした。
いや、本当に多かったんです(汗)
山生まれ山育ち、熊と猿とカモシカは大体友達の私達でしたが「本当に多い…(苦笑)」と言うほどの多さ。仕方なく今日は電気を消して、必要な時だけつけているそうで、見る時だけ明かりをつけて回りました。
障子を開けると月山が見えるこの辺では唯一のお寺だったのですが、(昔は月山は女人禁制のため、女性たちはここから遥拝したそうでした)この日はカメムシが多いので開けられませんでした。
あと、ちょうどこの頃秘仏の樒葉聖観音がご開帳されていたのでありがたく見させて頂きました。
鉄門海上人のご功績なども地図を見ながら詳しく説明してくれますので、「こういうのよく分からない…」という方でも大丈夫です。
この注連寺の近くには集落があったようですが、今は地すべりで集落は移転し、お寺がのみが残っている状態です。少し寂しい所にありますが、見る価値はあると思います。是非参拝してみてください。
【御朱印】山形県 大日坊
こちらは弘法大師空海によって開かれ、即身仏がおられるお寺です。
また、徳川将軍家の祈祷寺でもあり、あの春日局が参詣したお寺だそうです。
拝観を申し込むとお祓いなどあるようで、普通はお坊様がつきっきりで説明してくださるようです。
が、私達が参拝した日はお忙しい日だったようで、中へ通されたものの順序が分からず逆の順路から見て回っていたようでした。
即身仏の前につくとちょうど脇から出てきたお坊様に「あ、参拝の方ですか?じゃあ、真如海上人の説明しますね」と説明していただきました。
山形は即身仏が多いことをふと思い出すと確かに全国にある即身仏の半分ほどは山形にありました。
山形の即身仏の名前に「海」の字がつくのは開いた空海にちなんだようでした。
願いが叶うと有名な真如海上人の衣が入ったお守りがあり1000円納めると頂けます。(衣は六年に一回、丑年と未年に変えるそうです。)
真如海上人は少しずつ穀物を経ち、時には即身仏になるために漆の液を飲みながら(ミイラと違い内蔵を取り除く処置をしないため、虫が湧かないようにする処置だそうです)お経を唱え続けて即身仏へとなられたそうです。
見たら「怖い」という感情が先立つかと思いきや、「恐れ」の前に「畏れ」が来ました。
こうやって自身が厳しい修行をし即身仏になって後世の人間に仏の道を示す…何ともありがたいことです。
ありがたく手を合わせていると「あれ?そう言えばお祓い受けてないですよね…?」と、今度は慌ただしくお祓いを受け、また即身仏へ戻る…うーん、意外とこのお寺さん(いい意味で)忙しい(笑)
とても力強い素敵な御朱印を頂戴しました。
【御朱印】山形県 出羽三山神社
ようやく参拝できました!
有料道路を使い上までGO!(あ、邪道とか言わないで…)
とても広く、何とも言えない清々しい雰囲気。
途中修験者が法螺貝を吹いている場面に遭遇。うーん、神仏混交…!
今年は国宝の五重塔や羽黒三所大権現の秘仏が公開されている、というのとでどちらも見させて頂きました。
下に落ちてるカメムシを踏まないように下を見つつ慎重歩きます…(踏んだら車中が大変な事になる)
ふと御朱印を待つ間、上を見上げると柱を黒い何かが持ち上げてる…。あれは何だったのだろう…? 秘仏を拝んだあとおみくじガチャなるものを見つけたので回してみました。
おみくじと出羽三山神社にちなんだ物が入っており(山伏や法螺貝、五重塔など六種あって皆銀色の中一つだけ金色している)、「あ~、この金色の五重塔欲しいな〜」「そんな事言ってると山伏当たるよ(笑)」なんてガチャを回すと来ました!一番狙いの金色の五重塔!!!
せっかくなので後で本物の五重塔と一緒にパシャリ。
出羽三山神社の中でとても特徴的なのが茅葺屋根で普通の茅葺屋根よりかなり厚みがあります。
茅葺きの奉納にご協力を、という紙があったので(1000円〜受けてますので気軽に出来ます。興味のある方は是非。)少ない金額ですがお納めしてきました。すると「お待ちください」と言われ「少しですが…ありがとうございます」とポストカードを頂戴しました。
まさか記念品があるとは思ってもなく…ありがとうございます…m(_ _)m
見開きです。
御朱印帳
他にもあったのですが、出羽三山神社の授与所でしか授けて頂けないオリジナルの御朱印帳があったので勿論頂きました!
【御朱印】宮城県 大崎八幡宮
創建年代は不明であるが、社伝では坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府胆沢城(現岩手県奥州市水沢)に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まり、室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が本拠地(現宮城県大崎市)に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになったという。
庶民から「八幡堂」とも呼ばれていたが、古来より社名は「大崎八幡宮」だった。明治4年(1871年)の太政官布告によって近代社格制度が制定されたのを機に、「大崎八幡神社」に改称された。鎮座400年の記念大祭を10年後に控えた平成9年(1997年)、「大崎八幡宮」の名称に復した。
以上、ウィキペディアより引用。
と、言うことで社殿は国宝に指定されていて、とても豪華な造りです。
楼門の前には奉納された日本酒やウィスキー、ビール(もはやビールケースのみになって飾られていました…中身は神職様達がお供えしたあと美味しく頂いたのだろうか(笑)) ちょうど大崎八幡宮につくとご祈祷が始まり、(はとこと二人セットで参拝するとやたらとご祈祷や結婚式に遭遇する)「お、今日も始まったね」とニヤリ。
とても有名な神社なので参拝者もひっきりなしでご神職様や巫女さんが忙しそうしてました。
ことらでは来年受験の甥に合格だるまを授かってきました。
(家に帰ってから渡すと早速念じながら片目を入れてました)
合格しますように…。 あと、参拝のしおり(御由緒)も異論な言語対応で用意されていて、日本語だなと取ったしおりが実は中国語で後からびっくり。(御朱印と共に日本語のしおりを頂戴出来ました)
【刀剣】致道博物館にて信濃藤四郎に会う
致道博物館に今年も行ってきました。
勿論、お目当ては【名物 信濃藤四郎】。
藤四郎吉光の中でも地金が健全なまま残る御刀。
去年初めて見た時(何これ?!?!)と衝撃を受けた一振り。
地金が健全ってこういう事なんだ、と無言で教えられた御刀、それが私にとっての信濃藤四郎。
吉光らしい、よく詰んだ地金が本当に美しい。
好きだー、吉光。やっぱ、吉光は最高だよ…(うっとり)
ちなみに私が一番好きなのは鎌倉時代の刀匠、【粟田口藤四郎吉光】です。
これが本当に鎌倉時代に作られたの…?と思うくらい本当に綺麗。
今年もじっくり、ゆっくり鑑賞させて貰いました。
個人的に一番好きな鑑賞角度は鋒から眺めること。
姿も地金も何もかも美しいけど、ライティングでふわふわっと帽子の辺りの刃文が浮き上がる角度で鋒から眺めるのが最高に幸せ。美しや。(見て時は中腰でかなり辛い時もある)
今回もお抹茶を一服頂戴しました。
生憎先約がいて三餘室は空いてなくて閑雎堂にて頂きました。
でも、閑雎堂から眺める庭園もまた素敵。
(ここにクラウドファンディングにて打たれた蛍丸の写しの影がありました)
また来年も来よう。